創業期
戦前
戦後
現在
大正14年
(1925)
藤澤熊登26歳で8年勤務の「梶崎熊次郎商店」より独立、
『藤澤商店』を大阪市西区立売堀で創業。
鋼材生産高が輸入高を超える。ラジオ用ねじ部品の需要旺盛。
大正15年
(1926)
ISO国際標準化機構設立。日本初自動式電話、東京で開設。
昭和4年
(1929)
納入先の「坂梨商事」より藤澤熊登に乞われ、入江寅雄が入店。
日本工業規格統一調査会ISAに加入。
N.Y.株式暴落、世界恐慌始まる。
昭和5年
(1930)
屋号「上がり藤」をトレードマークに。
自動木ねじ切機が開発され、鉄・木ねじが量産化。人口6,445万人に。
昭和8年
(1933)
製造部門『日ノ出製鋲所』を大阪市港区に新設。入江寅雄、入隊。
「東京鋲螺会」設立。日本が綿布輸出、世界一に。
昭和12年
(1937)
北京支店、上海支店、京城出張所を開設。
藤澤熊登、大阪商工会議所議員に。
昭和13年
(1938)
金属・機械業者の「大阪機械商組合」に「鋲螺部会」を結成。
ねじの出荷額3億9000万円。日中戦争開戦。
「鋲螺部会」が独立、「大阪鋲螺卸商組合」を結成。(約50社)
藤澤熊登、「大阪鋲螺卸商組合」専務理事に就任。
昭和15年
(1940)
『藤澤商店』を『有限会社 藤澤熊登商店』に改組。
工場を『藤澤鋲螺工作所』に改称、大阪市西淀川区に拡張移転。
監査役の椿繁夫氏(元参議院議員)が入社、工場支配人に。
ねじの出荷額7億。有限会社法が施行。
昭和16年
(1941)
藤澤寅雄、『有限会社 藤澤熊登商店』の代表者に。
藤澤熊登、地元広島の西城町の初代町長に。
鋲螺関係全般より辞任。
『藤澤鋲螺工作所』の従業員300人に。
独ソ開戦。大東亜戦争開戦。「全国機械工具卸商業組合連合会」設立。
昭和17年
(1942)
戦争激化で、『藤澤鋲螺工作所』敷地を売却。
東京初空襲。関門トンネル開通。
昭和19年
(1944)
藤澤熊登、紺綬褒章を受章。「満州開拓移民団」団長として満州へ。
北京支店、上海支店、京城出張所を閉鎖。
昭和20年
(1945)
大阪大空襲で店舗焼失。藤澤熊登、僧籍に入る。
ポツダム宣言、受諾。
昭和22年
(1947)
藤澤熊登46歳にて死去。立売堀にて営業再開。仮店舗建築。
公正取引委員会、発足。男女共学6・3制、学校給食、実施。
昭和23年
(1948)
『藤澤鋲螺株式会社』に組織を変更
、藤澤寅雄が代表取締役社長に就任。
「大阪鋲螺商業会」を発足。(同業10社)
藤澤寅雄、「大阪鋲螺商業会」の副会長に就任。
昭和24年
(1949)
日本工業規格(JIS)制定。(ねじ関係は昭和27年より)
昭和25年
(1950)
『藤澤鋲螺株式会社』創業25周年。
サービス強化で直需部、新設。
朝鮮戦争開戦で特需景気。
昭和28年
(1953)
NHK・民間テレビ放送開始。
昭和33年
(1958)
日本輸出検査協会、設立。藤澤寅雄、大阪代表に。
全鋲商連総会、メートル法・規格統一実施を決定。
昭和34年
(1959)
鋲螺のメートル法、完全実施。東海道新幹線、開通。
昭和36年
(1961)
藤澤寅雄、ねじ略号名称統一委員長に。資本金1,000万円に増資。
ねじ製品、貿易の自由化。
昭和38年
(1963)
本社鉄筋4階建新社屋、完成。
東海道新幹線、営業開始。東京オリンピック開催。
鉄鋼生産高、世界3位に。
昭和41年
(1966)
輸出貢献企業の認定を受ける(以降6年連続)
大阪市西区江之子島に鉄骨2階建の倉庫が完成。
昭和43年
(1968)
東大阪市金物町に鉄筋3階建の東大阪営業所が完成。
昭和44年
(1969)
大阪市西区江之子島に本社分室を開設。
昭和45年
(1970)
大阪鋲螺卸商協同組合創立。藤澤寅雄、副理事長に就任。
東京都墨田区錦糸町に鉄筋3階建の東京支店が完成。
昭和46年
(1971)
藤澤寅雄、大阪鋲螺卸商協同組合理事長に就任。
昭和47年
(1972)
藤澤寅雄、全国鋲螺商業連合会・ねじ商工連盟の会長に就任。
昭和48年
(1973)
藤澤寅雄、藍綬褒章受章。
オイルショック。
昭和49年
(1974)
東大阪営業所に隣接した鉄筋3階建の2号館を新設。
昭和50年
(1975)
藤澤鋲螺株式会社、創業50周年。
昭和54年
(1979)
藤澤弘幸が代表取締役社長に就任。
昭和58年
(1983)
本社を大阪市西区立売堀から東大阪営業所に移行。
昭和62年
(1987)
国鉄民営化でJRに。
平成2年
(1990)
社名を、株式会社コムウエル・フジサワに変更。
平成3年
(1991)
バブル経済と呼ばれる安定期が崩壊し、平成不況に。
平成7年
(1995)
阪神大震災が発生。円高騰70円台に。地下鉄サリン事件が発生。
平成9年
(1997)
藤澤弘幸、大阪鋲螺卸商協同組合の理事長に就任。
1989年よりスタートした消費税3%→5%に。たまごっちブームに。
平成11年
(1999)
藤澤弘幸、日本ねじ商業協同組合連合会の会長に就任 。
平成14年
(2002)
東京支店を墨田区両国に移転。
平成19年
(2007)
藤澤義弘が代表取締役社長に就任。
藤澤弘幸が代表取締役会長に就任。
平成20年
(2008)
リーマンショックによる世界的金融危機が発生。
平成23年
(2011)
ISO14001認証を取得。
東日本大震災が発生。大津波により多くの沿岸地域が壊滅。
平成24年
(2012)
東京スカイツリーが開業。(東京スカイツリーR電波塔に緩み止め製品を多数納入)
平成26年
(2014)
消費税が5%→8%に。
平成27年
(2015)
株式会社コムウエル・フジサワ、創業90周年。